印象深い選手~野球投手編~
2009年12月9日 ゲーム コメント (6)①杉浦 忠氏
ホークスファンになった一因でしょうな。福岡にホークスがきて初代監督がこの人。どんな人か現役時代の話(日本シリーズ4連投4連勝等)を聞くに至り、「 漢やな」とすごい魅力を感じましたね。南海ホークスというと野村さん門田氏あたりも名前挙がるでしょうが、俺の場合はまずこの人ですね
(いいものあったので抜粋します。いまどきでいう”愛すべきばか”ですね。男でも惚れそうですわ)
杉浦 忠 ~鶴岡監督を男泣きさせた4連投~
昭和34年。南海は巨人と日本シリーズ5度目の対決で宿願を果たした。4勝0敗のストレート勝ち。その全部を杉浦がかちとった。
悲運の鶴岡一人監督を男泣きさせた最高のヒーロー。このシーズン38勝4敗。防御率1.40。三振奪取336。もちろんリーグMVP。しかし日本シリーズ 4連投は、楽投だったのではない。指のマメがつぶれ、むけた皮から血が流れていた。1球投げると白球が血に染まり、捕手野村の方が顔面を蒼白にした。杉浦はその中を投げぬいた。「ボクの腕の1本や2本どうなってもかまいません。南海へ入団した時から巨人を倒すことだけを考えてきたんです」
33年入団の時、狙った長嶋に巨人入りされた鶴岡監督は不安になり、杉浦にも思わず「君は大丈夫だろうな」といった。「ボクがそんな人間に見えますか」杉浦のこの言葉が2シーズン目で鶴岡を日本一にした。
40年、右腕動脈閉塞になってエースの座をおりた。しかし旧友長嶋の巨人を倒した勝利だけでも、杉浦の心は十分燃焼できたのだろう。「南海ホークス」最後の年の監督でもあった。
右投右打 昭和10年9月17日生 挙母高-立大-南海(33~45年)-南海・ダイエー(61年~平1年)
▼最高殊勲選手34年 ▼最優秀投手34年 ▼最優秀防御率34年 ▼最優秀勝率34年 ▼最多勝34年 ▼新人王33年
②稲尾和久氏
もの心ついた頃か福岡という土地柄もあってか、当初は西武ファンでアンチ巨人だった。当時西武ファンが多いのはまだホークスが福岡に来る前で西鉄ライオンズの影響。すくなくとも俺の周りの環境では9割以上これが当たり前だった。俺自身は稲尾さんの現役時代どころか監督采配の時代すら知らない。ただ西鉄ライオンズと言われるとこの人が真っ先に浮かぶ。その象徴とも思える人がホークスの解説者となったことと秋山(現監督)がトレードで来たことによっていっきにライオンズファンがホークスファンになった気がす。
まー俺自身はとうにホークスファンだったけど、この人の解説は好きだったなぁ。結構言いたい放題なこともありましたねw風邪で急遽先発辞退した投手とかいたら「何しにプロにきたんだ。俺なんて体おかしくても投げたよ。投げるためにプロに入ったんだから」「肩に違和感?なんじゃそれ、便利な言葉やのぅ」この手の台詞何度聞いたかww
まー実際問題、彼の真似をして欲しいわけじゃない。ただ鉄腕呼ばれても本当に腕が鉄なわけじゃあるまいし無理してたんだろう。あの気構え良かったですねぇ。亡くなられる直前まで解説されてた感じだったのにいきなり感あった。
③篠原 貴行氏
書いたばっかなので説明略。中継ぎのみで14連勝。
ちなみに 来年からセは横浜応援します。彼と尾花監督。ついでに島田誠氏もいきましたか。故稲尾さんと島田さんの解説好きでしたがこれで完璧にRKB聞くことはなりなりますねぇ。
④斉藤和巳氏
万年先発不足に泣かされてた頃に現れたエースでしたね。そりゃ打たれるときは打たれたけど”落としちゃいけない大事な試合”ってあるでそ。そういう試合で序盤打たれても大崩することは決してなかった印象。この辺が当時杉内新垣よりも信頼もてた。和田も最初の頃はたち直してたのに一発病に泣かされるしねぇ。どの辺が好きかってピンチの時。エースの自覚だね。大事なとこは抑えてくれた。またよく吼えたwあの吼えた時の印象が俺の中にある彼のイメージ。
ここまで書いて改めて感じた。俺は技術どうこうの前に気持ちで投げるタイプが好きみたいやね。
ホークスファンになった一因でしょうな。福岡にホークスがきて初代監督がこの人。どんな人か現役時代の話(日本シリーズ4連投4連勝等)を聞くに至り、「 漢やな」とすごい魅力を感じましたね。南海ホークスというと野村さん門田氏あたりも名前挙がるでしょうが、俺の場合はまずこの人ですね
(いいものあったので抜粋します。いまどきでいう”愛すべきばか”ですね。男でも惚れそうですわ)
杉浦 忠 ~鶴岡監督を男泣きさせた4連投~
昭和34年。南海は巨人と日本シリーズ5度目の対決で宿願を果たした。4勝0敗のストレート勝ち。その全部を杉浦がかちとった。
悲運の鶴岡一人監督を男泣きさせた最高のヒーロー。このシーズン38勝4敗。防御率1.40。三振奪取336。もちろんリーグMVP。しかし日本シリーズ 4連投は、楽投だったのではない。指のマメがつぶれ、むけた皮から血が流れていた。1球投げると白球が血に染まり、捕手野村の方が顔面を蒼白にした。杉浦はその中を投げぬいた。「ボクの腕の1本や2本どうなってもかまいません。南海へ入団した時から巨人を倒すことだけを考えてきたんです」
33年入団の時、狙った長嶋に巨人入りされた鶴岡監督は不安になり、杉浦にも思わず「君は大丈夫だろうな」といった。「ボクがそんな人間に見えますか」杉浦のこの言葉が2シーズン目で鶴岡を日本一にした。
40年、右腕動脈閉塞になってエースの座をおりた。しかし旧友長嶋の巨人を倒した勝利だけでも、杉浦の心は十分燃焼できたのだろう。「南海ホークス」最後の年の監督でもあった。
右投右打 昭和10年9月17日生 挙母高-立大-南海(33~45年)-南海・ダイエー(61年~平1年)
▼最高殊勲選手34年 ▼最優秀投手34年 ▼最優秀防御率34年 ▼最優秀勝率34年 ▼最多勝34年 ▼新人王33年
②稲尾和久氏
もの心ついた頃か福岡という土地柄もあってか、当初は西武ファンでアンチ巨人だった。当時西武ファンが多いのはまだホークスが福岡に来る前で西鉄ライオンズの影響。すくなくとも俺の周りの環境では9割以上これが当たり前だった。俺自身は稲尾さんの現役時代どころか監督采配の時代すら知らない。ただ西鉄ライオンズと言われるとこの人が真っ先に浮かぶ。その象徴とも思える人がホークスの解説者となったことと秋山(現監督)がトレードで来たことによっていっきにライオンズファンがホークスファンになった気がす。
まー俺自身はとうにホークスファンだったけど、この人の解説は好きだったなぁ。結構言いたい放題なこともありましたねw風邪で急遽先発辞退した投手とかいたら「何しにプロにきたんだ。俺なんて体おかしくても投げたよ。投げるためにプロに入ったんだから」「肩に違和感?なんじゃそれ、便利な言葉やのぅ」この手の台詞何度聞いたかww
まー実際問題、彼の真似をして欲しいわけじゃない。ただ鉄腕呼ばれても本当に腕が鉄なわけじゃあるまいし無理してたんだろう。あの気構え良かったですねぇ。亡くなられる直前まで解説されてた感じだったのにいきなり感あった。
③篠原 貴行氏
書いたばっかなので説明略。中継ぎのみで14連勝。
ちなみに 来年からセは横浜応援します。彼と尾花監督。ついでに島田誠氏もいきましたか。故稲尾さんと島田さんの解説好きでしたがこれで完璧にRKB聞くことはなりなりますねぇ。
④斉藤和巳氏
万年先発不足に泣かされてた頃に現れたエースでしたね。そりゃ打たれるときは打たれたけど”落としちゃいけない大事な試合”ってあるでそ。そういう試合で序盤打たれても大崩することは決してなかった印象。この辺が当時杉内新垣よりも信頼もてた。和田も最初の頃はたち直してたのに一発病に泣かされるしねぇ。どの辺が好きかってピンチの時。エースの自覚だね。大事なとこは抑えてくれた。またよく吼えたwあの吼えた時の印象が俺の中にある彼のイメージ。
ここまで書いて改めて感じた。俺は技術どうこうの前に気持ちで投げるタイプが好きみたいやね。
コメント
そう言えば門田さんも同じく解説やってたけどいつの間にか消えてた。
最近は関西独立リーグ関連で名前を聞いたけどなにやってんだかw
別府の野球神みたいに言われてるから
和巳は20勝した年はホントに最強ピッチだったし、期待裏切らなかったよねえ~
それだけに復活を願ってるけど・・・・
ホークスも最近明るい話題聞かないし
たまに聞いたら納会での痴態やらw城島こないやらそんなんばっか・・・
「神様 仏様 稲尾様」 ですからねww
田上と長谷川と大隣がいるから将来は明るいです^-^
本人自身が「あの頃の投球はできない」というコメントがあるので、やはりかという思いですね。現場復帰で先発ローテの一角にだけでもなってほしいところ。だからこそ球団も契約更改してるんですから
去年一年で秋山野球の信仰者になったもので、監督を信じるのみです^^;